忘れない大森の海苔 元生産者ら記録集出版 〈東京新聞2011.2.12〉
江戸前の海苔(のり)の一大産地として栄えた大田区・大森の歴史を後世に伝えようと、元生産者らが記録集「海苔のこと 大森のこと」を出版した。300年の海苔づくりに終止符が打たれてから50年近く。高齢化が進む当事者の証言を「最後の機会」と集めており、ページをめくると「街そのものだった」といわれる地場産業への誇りと惜別が伝わってくる。 (増田恵美子)
東京湾に面した大森では江戸時代から海苔の漁が行われ、全国に先駆けて養殖も始まったとされる。ことに高品質の「浅草海苔」の産地として名をはせた。
しかし、都会の漁場には高度経済成長期、埋め立て計画が持ち上がる。一九六二年、「国および東京都の発展に寄与するため不本意ながら」と地元は漁業権を放棄した。当時の生産者(養殖業者)は約八百軒だった。
本のきっかけは、地元の寺、密乗院(同区大森中)の須佐知行住職(62)が二○○六年、元生産者の田村保さん(79)が撮影した戦後の作業風景の写真を見かけたことだった。「こんな貴重な写真が残っているのなら、記録集を作れるのでは」と、元生産者ら十八人に呼び掛けて、編集委員会を発足。四年間で三十一回の編集会議を重ねて、自費出版した。
本では、田村さん提供を中心に約二百六十枚の写真や図を多用して、海苔漁の「一年間」と繁忙期の「一日」を再現した。
冬の収穫期、午前二時に起床、収穫や、すいたり干したりするなどの作業に総出で取り組んだ漁を営む家の様子を紹介。地域では「もやい」と呼ばれる海の助け合い精神が強く、漁場内の場所の割り当ても毎年、くじ引きで決めていたことも分かる。
須佐さんは「子どものころ、海苔の街だった大森の風景は忘れない。当時の海苔は本当においしかった。少しでも街の先人に感謝できれば」と語る。
編集委員の一人、田中正一さん(70)=同区大森南=は中学を出て家業の生産者になったが、七年で会社員への転業を余儀なくされた。「今も海があったら、海苔屋を続けていた」と懐かしむ。現在は大森の海苔を伝える活動のボランティアをしており、「本という形に残すことができて感謝している。さらに知ってもらえたら」と話す。
本は二千部発行し、区に一部寄贈した。
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