釈迦信仰の世界

日本からインドにたどる 田中純男 編

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—目 次—
 

Ⅰ 今に生きる釈迦  

花まつりと甘茶●小島恵良
涅槃会と「おはなくそ」●池戸義久
地名に見る釈迦信仰●渡辺隆正
涅槃会のだんごまき●吉田快應

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Ⅱ 釈迦のちから  

三国伝来生身釈迦如来像●荒島聖宏
舎利という石●守 祐順
お釈迦さまの足あと—仏足石信仰—●三浦聖令
釈迦と神通力と科学●加藤弘詔
法律と戒律●浦澤精乗

 Ⅲ 釈迦を信仰する心  

教えを求めて 河口慧海●松崎慈恵
仏教を弘めた実業家 沼田惠範●寺山賢照
原点と展開●星野 壮(壮英)
この世とかの世を捨てる●早川道雄
「今ここ」に新たなり●佐藤好久 

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Ⅳ 釈迦とは誰か—日本・中国—

日本における釈迦信仰●笹岡弘隆
明恵上人の釈迦信仰—我が哀恋の声を聴け—●粕谷隆宣
中国のシャカ歳時記●田中文雄 

Ⅴ 釈迦とは誰か—インド—  

仏跡—釈尊に見える—●白石凌海
密教経典と釈尊●高橋尚夫
仏像の誕生と釈迦信仰●野口圭也
釈尊と釈迦信仰●田中純男(海量)
   釈迦信仰ゆかりの地(日本・インド地図)

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“釈迦とは誰か”この問いに答えるのはそう簡単ではない。人間釈迦については十分論究されてきた。しかし、釈迦をめぐる諸々の事象を総体的に論ずる試みは多くなされてきたとは言いがたい。……日本における習俗、風習と結びついた姿、日本人の崇敬の熱い眼差しを一身に受けた姿、釈迦の言葉に感銘を受けて一生をまっとうした人、こうした状況は中国、インドでも変わりがなかったようである。初期仏教の時代、ストゥーパや舎利(遺骨)が釈迦そのものとして崇拝されたが、大乗の時代になると釈迦は仏像として姿を現わす、釈迦ゆかりの地が巡礼の対象となり、釈迦の事跡が語りつがれるようになる、密教においても釈迦の説話が語られる。これらを考えると、人々の情念の内には、説話として語られる神話的な姿がいつも躍動していたとの感を深くする。……人間でありしかも人間を超えた存在でもあるという両義性を有する実在者、人間の目には見えないはずであったものが、何かの機縁によってわれわれの眼前に立ち現われてくる、彼岸にあって、しかも此岸にもある、いわば宇宙に遍満するがごとき存在者である。……ここではただ釈迦信仰の広大な世界に想いをはせ、先人たちの釈迦のイメージを共有したいと思う。田中純男「はしがき」より

書評仏教タイムス 2016.7.7

大法輪 2016.9

 

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