今、仏教に求められていることとは—3.11に寄せて
生きる死者 災害と仏教
「死」は、関係の終わりではない
「姿が見える」「すすり泣く声が聞こえる」「感触がまだ残っている」……。
生者の中に生き続ける「死者」の存在。東日本大震災に係り続けてきた著者が、天明三年浅間山大噴火、3•11などの災害をもとに、死者との向き合い方を多角的視点から考察する。
目次
Ⅰ 生者にとって死とは何か
1 災害と仏教—天明三年(一七八三)浅間山大噴火—
2 続・災害と仏教—天明三年(一七八三)浅間山大噴火
3 続々・災害と仏教—死者供養の諸相—
Ⅱ 生きる死者
4 死者供養の諸相—災害と仏教—
5 災害における言葉—現代医療〔技術〕と仏教—
6 生きる死者—災害と仏教—
Ⅲ 災害のいま・ここ
7 災害の〈いま・ここ〉—三平等観の展開—
8 自然・災害・暮らし・祈り・歴史—災害史からの視点—
9 諸・転法輪考—災害における言葉—
Ⅳ 死のゆくえ
10 山中他界観と十三仏信仰
11 死のゆくえと十三仏信仰
12 十三仏と民俗信仰